SIN Gallery

スコットランド、オランダ、ポーランドなど北欧で描いた絵

Paintings in Scotland, Holland, Poland, etc.

スコットランド、オランダ、ポーランドなど北欧の絵を紹介します。

TEL.090-5608-5940

〒431-3113 静岡県浜松市東区大瀬町608

メニュー画面の背景画はシェトランド島
リンクス
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*セントアンドルーズ

(Royal and Ancient Golf Club of St Andrews英国スコットランド セント・アンドルーズ市 人口僅か20,000人弱) ゴルフ発祥の地とされる。五年に一度このコースで開催される。ここでは世界のゴルフのルールを取り仕切っている。新しいゴルフクラブが世にでるとR&A(Royal and Ancient)に届けて承認を得なければならない。

テレビ観戦で多くの日本人ゴルファーもこのコースは知っていると思うが、リンクスとは海沿いのコースで当然風が強いそういう場面で勝たなければならないという厳しいコースで有名である。各ホールのフラッグが揺れ、すすきも揺れる映像を何度も見られたものと思う。

SIN Gallery 代表・進 九三郎の尊敬するゲーリー・プレーヤーは1959年(ミュアフィールド)、1968年(カーヌスティ)、1974年(ロイヤルリザム・セントアンズ)と勝っているがこのコースでは勝っていない。

1994-11-1  日本の真名カントリークラブでゲーリー・プレーヤー チャリティーゴルフを開催した。寄付金はGary Player Foundation(南ア・ヨハネスブルグで恵まれない黒人の子供への慈善活動を行っている)へ寄贈した。このチャリティーゴルフでは株式会社スヴェンソン(兒玉圭司 社長)より過分な協賛(チャリティー)をいただいた。

1860年に全英オープンが開催され、2010年で150年を経過した、途中戦争などで開催出来なかった年を差し引き、第139回大会はセントアンドルーズであった、優勝は南アのルイス・ウーストハウゼンだった。

第一回全英オープンは、1860年に開催され、ウィリー・パークが優勝した。1860年日本は、江戸幕府のおわりで、坂本龍馬が活躍した時代、明治維新は1868年である。

コースレコードは 2010年オールドコースで63のスコアを出したローリー・マキロイである。オールドコース6387ヤードである。タイガーウッドは2000年と2005年にこのコースで勝っている、セントアンドルーズ連覇である。ゴルフの聖地といわれる。

2013年の全英オープン ミュアフィールド(エジンバラの東)は難コースで知られている世界最古のゴルフコースでプロ転向一年目弱冠 21歳の松山英樹の活躍は日本のゴルフファンを感動させた。

この町にはセントアンドルーズ大学があり、2011年4月29日に結婚されたイギリスのウィリアム王子とキャサリンさんはこの大学の卒業生である。

CEO

チャリティーゴルフでの記念写真(上写真)左から進 九三郎、中根巌(ロイヤル社長 当時)、ゲーリー・プレーヤー。

マスターズ52回出場のゲーリー・プレーヤー選手との出会いがあった。彼のエージェントはIMGで、担当は石井りみ氏という人であった、大変英語の上手な人でした。伺ったら米国の大学で学んだ後、IMGに入ったとのことで、IMGの創設者でマーク・マコーマック氏のことをよく話してくれた。マコーマック氏の最初のクライアントは、彗星の如くプロゴルフ界にデビューしたアーノルド・パーマー選手でした。二人目のクライアントはゲーリー・プレーヤー選手であった。

IMGは世界中に拠点を持ち、ゴルファー、芸能人のマネジメントから、アジア大会などビッグイベントのマネジメントも引き受けるということであった。IMGは、世界でスポーツマネジメントビジネスを築いた。

1993年ゲーリー・プレーヤー社は、ゴルフ用品の日本の販売代理店を探しているということで、当時勤めていた名古屋ロイヤルの担当として出向いた、ゲーリー・プレーヤー本社のあるヨハネスブルグへ出向き息子のマーク・プレーヤー氏と交渉した。交渉の末、販売代理店権を獲得した。当時日商岩井の現地駐在員のHonma Kenjiroさんに通訳を含めてお世話になった。

ヨハネスブルグへはクアラルンプール経由で訪問したが凄く遠いという印象が残った。1955年ゲーリー・プレーヤーがヨハネスブルグからロンドン(約9,000km)へ出向いた頃、航空機事情でどのくらいの時間がかかったか想像を絶するものがある。

ゲーリー・プレーヤー選手は、イギリスのダンロップマスターズで1956年に初優勝し、当時500ポンドの賞金を稼いだ。(当時の為替レートは、1ポンド1,000円位していた) その後、マスターズ52回出場(新記録)などその活躍は説明するまでもないが、ヨハネスブルグの自宅はゴルフでどれだけ稼いだか判らないが、約1000エーカー(4,047,000平方メートル )とも伺った。敷地の遠くには地平線が見えた。

1955年19才ではじめて南アから英国へ出向きトーナメントに出場した、その時イギリスのトッププレーヤーの何人かは、彼のフックグリップと彼の度胸の良さ(confidence 乱暴な表現をすれば”図々しさ”)を見て、南アに帰って地元の大会へ出たらと皮肉をこめてアドバイスした。翌年1956年再びイギリスへわたり前述のダンロップ・マスターズで初優勝した。会場はサニングデール(世界の名門コースで紹介)、その優勝でUS-Masters Golf の出場権を獲得した。

アメリカに渡って彼はベンホーガンの教えを学習した。マスターズの初優勝は1961年である。彼は、またBunker King と呼ばれた、彼の話によるとバンカーショットの成功で多くの大会で勝つことができた。

年号は記憶がないが、全英オープンで彼がバンカーショットをミスった時、その映像がCNN(オーナー・テッドターナー、元アトランタブレーブスのオーナーでも有名だった、2010まで川上憲伸在籍-2013 中日ドラゴンズ)で世界に流れ話題を呼んだ。

アーノルド・パーマーは自叙伝でゲーリー・プレーヤーが当時アメリカに住んでいたら、米国の大会でマスターズ1961,1974,1978 全米プロ 1962, 1972, 全米オープン1965 と6回勝っているがもっと多く勝っているだろうと記述している。

マスターズの最多出場記録2009年52回(1957-2009, 1973は欠場)、次の記録はアーノルド・パーマーの50回である。 全英オープンは1959年、1968年、1974年と勝ち、メジャー通算9勝上げている。

全英オープン、全米オープン、全米プロ、マスターズの生涯四大タイトルを全て獲得した選手をキャリアグランドスラマーという。ゴルフ界のグランドスラマーは、ジーン・サラゼン、ベン・ホーガン、ゲーリー・プレーヤー、ジャック・ニクラウス、タイガー・ウッズの五人のみである。

進 九三郎は世界中のアスリートを直接的、間接的に知っているが、これほどその競技に拘りをもっている人はゲーリー・プレーヤーの他にいない。何度か食事をご一緒させていただいたが、お酒はほとんど飲まないし、タバコは勿論吸わないし、食べ物も脂っこいものは食べない、ハムは絶対に食べないガーリックの効いたチャーハンなど好きだ。

世界の経済誌で有名なフォーブス(Forbes)よると、彼が世界中の大会に出場するため飛行機で飛んだ距離は14million air miles を越えるといわれ、この距離は地球560周分(一周40,000kmとして)になる。これは世界を股にかけて戦う多くのアスリートのなかでは最高の記録ではないか。(世界のビジネスマンでも例がないと思われる)